祖母の命と我が子の命
ブログをお読みくださりありがとうございます。
プレパパゆうゆです。
僕の祖母は数年前から認知症で施設に入っています。病院を転々とした後、現在は特別養護老人ホーム(特養)で過ごしています。祖母の容態は不安定で、実は昨年の今くらいから医療従事者から「覚悟をしておいてください」と何度も言われていましたが、その後持ち直して現在に至っています。
しばらく落ち着いていましたが、今も再び危ないと言われています。もう1週間以上も前から、何も口にできない状態が続いていますが、生来心臓が強いのが幸いして、なんとか生きています。しかし、僕の目でも両親の目にも、祖母が長く持つとは思えません。僕には妊娠4ヶ月の子供がいます。来年6月に生まれる命です。かたや、祖母の命いつ消えてもおかしくない。生と死という命の両極端に接して、僕は「生きること」に対して、生まれて初めて湧いてくる不思議な感情を抱いています。
昨日はクリスマスということで、妻とともに僕の実家へ行き、食事をしました。その時、母から祖母の容態について聞かされ、「今週ないし来週、覚悟してほしい」と言われました。これからの様々なことを話し合いました。「いよいよか」と僕は覚悟を決めます。
僕は今月中旬、母から「もう食べられなくなっている。何かある前に会いに行ってほしい」という連絡を受け、祖母に面会しました。施設は神奈川県川崎市某所。実は祖母が長く住んでいた場所から数百メートルの距離にあります。僕は小さいころ、川崎市で育ちました。昔、祖母と手を繋いで歩いた場所の近くに、今祖母は入院しているのです。気が強く、負けず嫌いな祖母は、「負けたら癪だから、勝ち目がない勝負はしない」が口癖でした。
施設で祖母を面会した際、祖母に我が子のエコー写真を見せました。すると祖母は顔をニコッとさせて、「カワイイ」と言うのです。認知症の祖母は、周りの人物が誰かがわからなくなったりして話しかけても反応が薄いのに、写真を見せると笑ったり、「いいね」と言ったりと反応を示します。特に僕が赤ちゃんだった頃の写真への食らいつきは激しく、「カワイイ、カワイイ」と目に涙を浮かべます。僕は祖母から愛されていたのだな、と感じます。
我が子のエコー写真を見せながら、
「おばあちゃんのひ孫だよ。来年6月に生まれるんだよ」
と言うと、少し笑って、目に涙を浮かべます。僕としてはおばあちゃんに子供を見せたいと思います。でも、それはもう叶わないことであることもわかっています。おそらく、祖母自身もわかっていると思うのです。もう食べ物を口にできないし、話すだけで疲れてしまうのか眠っていることが多いのです。
覚悟をしていると思っていても、心の中には「生きていてほしい」と言う気持ちもある。何もしなくてもいい、ただ生きていているだけでいい、という思いです。かつて僕自身が死にかけたときも生死についての考え方に大きな影響を受けましたが、自分の子供の誕生と、大好きな祖母に迫り来る死の間に立ち、心が揺れているところです。
お読みくださりありがとうございました。
プレパパゆうゆ
prepapayuyu@gmail.com
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